「密」なる世界の今昔物語

新宿ゴールデン街、昭和の残り香漂う迷宮に魅せられて

September 30, 2022 Photo Masahiro Goda Text Yasushi Matsuami
October 4, 2022 Last modified

コロナが、かつて「密」であった場所から「密」を除去してしまう‼再開発の動きや法改正など、時代の波に吞(の)まれそうになりながらも、しぶとく命脈を保ってきた新宿ゴールデン街。コロナ時代、この街の行方は?

「ビッグリバー」にて
明るい花園五番街の「ビッグリバー」にて。コロナ以前とまではいかぬまでも、「密」な世界が繰り広げられる夜もある。

昭和が終わった。バブルに沸いた80年代が幕を下ろそうとしていた1989年、年明けわずか7日目のことだった。同年、美空ひばり、手塚治虫ら、昭和を彩った面々が相次いで世を去り、田中角栄は政界引退を表明。10月には三菱地所がロックフェラーセンターを買収、しかしバブル崩壊は目前に迫っていた。時代の変わり目を意識せざるを得なかったこの年の春、筆者のゴールデン街通いが始まった。それも仕事で!!

新宿は花園神社の西側、約2千坪のエリアに、間口の狭い飲食店300軒近くが犇(ひし)めいている。それがゴールデン街だ。戦後、新宿東口の闇市がGHQの指示で廃止され、移転を余儀なくされた業者が花園神社の西側の三光町(さんこうちょう)一帯に集まり始める。

その後、ここは「青線」と呼ばれる非公認売春地帯と化す。1階は飲み屋、上の階は性的サービスを受けるスペースや店主の居住空間。当時のバラック風の長屋が、現在も使われていることが、独特の怪しげな魅力に寄与している。

ゴールデン街ゲート

1958年の売春防止法の施行以降、「青線」は消滅。バーや飲食店に鞍替(くらが)えして営業が続くうちに、いつしかゴールデン街と呼ばれるように。多くの作家、文化人、メディア関係者らが夜な夜な訪れ、口角泡を飛ばし、喧嘩(けんか)に発展することもしばしば。それがこの街を伝説の地に押し上げていった。
 
80年代には、地上げのターゲットになり、店主らは団結して再開発に抵抗。この一帯の所有権が複雑に絡み合っていたことも、地上げの進行を妨げた。その後バブルは弾(はじ)け、地上げも終結。しかし、営業をやめた店もあり、最盛期に300近かった店舗数は約140にまでに減少。これを憂えて、店主らの組合が90年代後半から改めてインフラ整備を進めていく。

2000年の定期借家法の施行以降、若い経営者が店を借り受けるケースが増え、街の雰囲気も一変。やがて観光地として活気を取り戻すことになる。時代の流れや法律にも翻弄(ほんろう)されつつ、この街はしぶとく、したたかに命脈を保ってきた。

ゴールデン街店内

さて、筆者のゴールデン街通いの理由は、PLAYBOY日本版の編集部に籍を置くことになり、名物書評コラム「内藤陳の読まずに死ねるか!」の担当を命ぜられたからだ。

内藤陳さんは、コメディアンを本業としながら無類の読書家で、特に冒険小説、ハードボイルド、ミステリーの類では誰もが一目置く存在だった。1981年に「オモシロ本」の愛好家たちを束ねる日本冒険小説協会を設立し、会長に就任。ギャビン・ライアルの名著『深夜+1』から名を借りて、ゴールデン街にこの会の公認酒場を開く。陳さんの歴代担当者は、月末にここへ原稿を頂きに行くのが習わしだった。メールもSNSもなく、ワープロやファクスが普及し始めた頃。対面のコミュニケーションが出版文化を支えていた。

「深夜+1」の10席に満たないカウンターに腰を下ろすと、すぐに原稿が出てくるわけではない。フォアローゼズのソーダ割をひっかけていると、やおら手渡されるといった塩梅(あんばい)。目を通していると、「こういう時しか店に来ねえからなあ」とイヤミが飛んでくる。2週間に1度の「深プラ」詣でを決意した所以(ゆえん)である。

「深夜+1」
「深夜+1」。壁の内藤陳さんが眼光鋭く店内を見守り続ける。『不夜城』で衝撃的な作家デビューを飾り、2020年直木賞を受賞した馳星周さんは、この店でアルバイトをしていた経歴を持つ。小説「ゴールデン街コーリング」から、当時の様子がうかがえる。

ここには陳さんの人脈で、作家、芸能人、映画監督らもしばしば顔を見せたが、普段は日本冒険小説協会会員である小説好き、映画好きが集っていた。当時も今もゴールデン街には、「深プラ」のような同好の士のたまり場のような店が多い。ここは文学、ここは映画、ジャズにワインに『あしたのジョー』に特化した店もあったかと記憶している。それぞれの店に流儀があり、ルールを守ることが求められるような雰囲気があった。しかし、ひとたび迎え入れられたら、そこには心地よい「密」な人間関係があった。

店と人が密集する街の、狭く密閉された空間で、飲み語る密接な世界。コロナ禍で「密」は忌避されるようになったが、コロナ以前、少なくとも昭和と平成の境目まではこの街は「密」の殿堂だった。

しかし今、ゴールデン街にもコロナ禍は及び、休業店も目立つ。陳さんが2011年末に他界後初めて「深夜+1」のドアを恐る恐る開けた。店内は当時のまま。今、店を切り盛りする須永祐介さんは、2000年にアルバイトとして入店、陳さんが達者な頃には一緒にコントのステージにも立った。

「うるさ型の人たちがいなくなって、ゴールデン街の雰囲気も変わりましたよ」と言う。うるさ型の代表というべき陳さんの謦咳(けいがい)に接した人物が、今もこの店を守っていることがうれしい。 

往時の新宿ゴールデン街の様子を伝える写真集や書籍
往時の新宿ゴールデン街の様子を伝える写真集や書籍も多数出版されている。闇市からの移転で基礎が築かれ、青線、作家・文化人の巣窟、地上げによる衰退を経て、インバウンド景気へ。新宿ゴールデン街の歴史には、時代の動きが重なって見える。

続いて明るい花園五番街の「ビッグリバー」へ足を向ける。店主の大川恵子さんは、かつてギャル雑誌の編集長だった人で、筆者と共通の知り合いも多い。狭く急な階段も、昭和感たっぷりの店内も、全てがイメージ通りのゴールデン街。特定の趣味性に傾くことなく、映画、音楽から下ネタまで、ざっくばらんな会話が飛び交う。演劇の舞台に立ちながら、ここでバイトをしているオクちゃんに、うら若き女子がゴールデン街にやってくる心持ちを尋ねてみた。

「会社とかに馴染(なじ)めない子が、居場所を見つけたくて来たりしますね」

なるほど。昔も今も、ゴールデン街にはそんな機能もあるのだ。この店で知り合ったかずこママが営むバー「十月」にも足を運ぶ。端正な店内は、ミニギャラリーの風情。ゴールデン街の魅力は、多様性にもあることが実感できる。

バー「十月」のカウンターにいた男性が「ウチにも来ません?」と声をかけてくる。聞けば、ご近所のバー「遠足」の店主。こちらはシルバー基調の洒落(しゃれ)た空間に昭和歌謡が流れている……。

そんな塩梅で、数珠繋つなぎに迷宮を彷徨うが如くハシゴできるのもゴールデン街ならでは。そうしながら、オクちゃんが言うように、自分の居場所を探せばいい。コロナが壊してしまった「密」な世界。それが、アフターコロナの世の中で、どう変容するのか。昭和、平成、令和と時代を跨いで生き延びてきたゴールデン街で、それを確かめてみたっていいじゃないか。

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