食語の心 — 食の豊かさ2

柏井 壽

November 2, 2022
October 19, 2022 Last modified
食語の心110

食の世界はなぜこれほどまでに、目まぐるしく変貌を遂げるのか。次から次へと新たなムーブメントが起こり、それに伴って新しい店ができ、古くからの店が幕を下ろす。世の中が動きを止めたコロナ禍でも、それは変わることなく続き、食のトレンドなるものは、ずっとメディアをにぎわせている。

前回はかき氷の話を書いた。かき氷ブームは年々隆盛を極め、その豪華さとボリュームを競うようになってきた。ひと昔前のかき氷と言えば、削った氷に色付きシロップを掛けただけだったが、最近ではフルーツや抹茶、チョコなどをトッピングし、明らかに「映え」を狙ったものが人気のようだ。

当然のように価格も高騰し、子どもの小遣いで買えるようなものではなくなった。それをして、豊かな食と言えるだろうか。豪華になったことは間違いないが、かつての色付きかき氷に比べて、けっして豊かだとは言えない。

エアコンなど普及しておらず、水風呂で汗を流し、扇風機の風に当たりながら、かき氷を食べて頭を痛くするのは、子どもながらに豊かさを実感したものだった。行列に並び、大枚はたいて食べるかき氷にその豊かさはない。豪華なトッピングだから、原価を掛けているから、製法にこだわっているから、食が豊かなものになるとは限らないのだ。

それはただ、かき氷だけの話ではなく、近年の食全般に言えることである。

たとえばステーキ。かつてはビーフステーキというだけで、立派なごちそうだったし、食の豊かさの象徴でもあった。ウェルダン、ミディアム、レアなど焼き方を聞いてくれるのも、贅沢の極みだと思ったものだ。

今の時代のステーキはおおむねふた通りに分かれ、ひとつは比較的安価で、おなかいっぱい食べられる店。肉は外国産が主流だ。一方で、食通たちが絶賛する店のステーキ。もちろん和牛に限るのだろうが、それだけではない。生産者は当然のこと、それを扱う精肉店も限定し、さらには熟成期間も明らかにし、焼き上げる温度や時間にもこだわる。

隔世の感があるが、とりわけ目を引くのは、肉を扱うカリスマの存在である。少し前にカリスマ漁師の存在が取りざたされたが、どうやらその流れは肉にまで及んでいるようだ。

特徴的な用語として「手当て」という言葉を使う。「Aさんが手当てした肉は精緻(せいち)を極めている」とある食評論家の言葉だ。具体的にどういうことを「手当て」と呼ぶのか、詳細までは分からないが、なんとなく想像がつく。もちろん牛肉そのものの出自、血統も明らかなのだろうが、加えてその肉をカリスマが扱うことで、格段に旨くなるのだという。

毎日高級外食を続けていれば、その違いが分かるのかもしれないが、一般庶民にはたして、その「手当て」なるものを実感できるだろうか。もしも実感できたとして、それをして豊かな食と言えるだろうか。

飽食の時代と言われて久しい。メディアを筆頭に、ちまたには美食があふれている。「こだわりの食」がメディアに登場しない日など一日もないのではないか。繰り返しになるが、それで豊かな食と言えるのだろうか。

イチゴと言いながら、イチゴのかけらもなく、ただ赤くて甘いだけで、申しわけ程度にイチゴの香りが付いたシロップを掛けたかき氷。産地がどこなのかも分からず、ただ牛肉を焼いただけというステーキ。ほんの少し前の時代に、喜々としてそれを食べていたことを思い返せば、そのころの方が豊かだったと思えてしまう。

かき氷にはかき氷の領分があり、ステーキにはステーキの領分がある。それを超えると「食」とは別の領域に入ってしまう。なんでもかんでも極めればいいというものではない。贅を尽くせば幸せになれるものでもない。舌はともかくとして、心の豊かさは明らかに昔のほうが上だ。

過ぎたるは猶なお及ばざるが如ごとし。

今の食を見ていると、いつもこの言葉が浮かんでくる。ほどの良さ、というものがある。あるいは身の丈に合う、という言葉もある。どんなに時代が変わっても、食の豊かさは常にこれらの言葉とともにあるべきだと思っている。

柏井 壽 かしわい ひさし 
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

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