時代を読む――原田武夫 第24回

March 4, 2015
July 12, 2022 Last modified

「仁侠」と「礼」、そして日本人の使命

時代を読む――原田武夫 第24回 「仁侠」と「礼」、そして日本人の使命

「高貴なウソ(noble lie)」という英語表現がある。人心を統べるためには時にウソもつかなければならないという意味だ。日本語で言うならば究極の「必要悪」といったところだろうか。

このところ金融資本主義を延命させようとする米欧の統治エリートたちによる「高貴なウソ」があまりにもひどすぎるように感じてならない。例えば1月22日、欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁は「これからユーロ圏各国の国債を買っていく」と高らかに宣言した。いよいよ米国、我が国に続いて量的緩和に踏み切るというわけだ。ユーロは暴落し、マーケットは大騒ぎとなった。

そもそも「共通通貨ユーロを導入するには厳しい財政規律をクリアしなければダメだ」というルールだったはずだ。だが、量的緩和が始まったことにより、このルールは事実上反故(ほご)にされた。本来ならばこのルールが守られるからこそ、ユーロは価値を保ち、安心して使えるはずなのに、である。「デフレ対策だから仕方ない」と叫ぶドラギ総裁の不敵な笑いが忘れられない。

これに驚いたふりをした米国の統治エリートたちの動きも面白い。私は昨年(2014年)秋にモントリオールで開催された米州国際経済フォーラムに出席した。壇上の一人として最も目を引いたのが、サマーズ元米財務長官だった。ランチの場で講演をした同元財務長官は一度聴いたら忘れられない濁声(だみごえ)でこう叫んだのである。

「米経済は堅調だ。公的セクターに少々債務の問題があるが、大丈夫だ。シェールのおかげでこのまま順調に発展していく」

しかし、である。欧州中央銀行が量的緩和に踏み切ったのを見て、サマーズ元米財務長官はこんなコメントを出したのである。

「このままいくと米国はデフレに転落する危険性がある。FRBは金利引き上げを待つべきだ」――あのモントリオールでの濁声は何だったのかと大笑いしてしまった。要するに彼ら米欧の統治エリートたちは大西洋を挟んでボールを投げ合い、マーケットを揺さぶっているだけなのだ。太陽活動の明らかな異変を起点として、北半球では夏場の極端な暑さの裏側で秋冬の寒冷化が激しくなっている。これが人々の免疫力を蝕み(むしばみ)、デフレ縮小化が加速度的に進んでいる。ところが米欧の統治エリートは何としてでも、従来同様にむき出しの力をもってこれを抑え込もうとしているのである。自分で作ったルールを次々に破っては量的緩和に飛び込んでいるのはそのせいだ。逆に言えば「ただそれだけのこと」なのである。

彼ら米欧の統治エリートの頭の中にあることはただ一つ。「自然(じねん)は必ず力でねじ伏せることができるはず」という確信だ。これこそが西洋という文明の根幹に横たわっているものである。そしてこのように力をもって覇権を握ろうとすることを古来、東洋では「仁侠(にんきょう)」と呼んできた。

だが最後に仁侠は必ず滅び去ることになる。強烈に作用を加えれば、同じだけの反作用が生じるという「復元力の原則」ではじき返されるからだ。したがって米欧による「量的緩和」の結末も目に見えているのである。徹底した破綻、いや文明としての西洋そのものの「崩壊」だ。

その瞬間、全く違う原理へと世界は切り替わるのである。自然(じねん)への作用ではなく、それとの合一化を図る東洋、そして我が国古来のやり方である。このことを「礼」と呼ぶ。あるがままの世界をまずは受け入れることから始まるこの「礼」の世界はデフレ基調となる。

今起きていることは結局、「仁侠」の西洋から「礼」の東洋への転換だというわけなのだ。

肝心なのは、このあまりにも重大な原理転換を当の私たち日本人自身がリードしていけるかどうかである。その意味で「仁侠」から「礼」へと向かう今、民族としての私たち日本人の本当の記憶力と実行力が問われている。

原田武夫(はらだ・たけお)
元外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。
情報リテラシー教育を多方面に展開。講演・執筆活動、企業研修などで活躍。
https://haradatakeo.com/

おすすめ記事

ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE’S CODE DIGITAL」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。