カリスマたちの夢の跡 ―清盛・義経・頼朝

June 29, 2022 Text Rie Nakajima

日本史上最も長く愛され、繰り返し再現されてきたテーマの一つである源平合戦。
特に江戸時代には歌川国芳や月岡芳年、歌川芳虎らそうそうたる浮世絵師たちが物語の名場面を描いた。
勇猛さと権謀術数の限りを尽くして時代をつくったカリスマたちの栄華と衰退、諸行無常のことわりが、人々に胸のすくような熱狂と共感を生んだのだ。

歌川国芳「牛若鞍馬修行図」
歌川国芳「牛若鞍馬修行図」

時を超えて愛される空前のスターが乱立

源平合戦、教科書的には治承・寿永の乱が起こったのは平安時代末期の1180年である。「平家にあらずんば人にあらず」と言われるまで上り詰めた平氏と、後に鎌倉幕府を開く源氏が一族の存亡をかけ、6年におよぶ死闘を繰り広げた。 

これが日本の歴史を変える、天下分け目の戦いの一つであったことは間違いない。だが、江戸時代の歌舞伎や浮世絵、現代のテレビドラマやアニメに至るまで、これほどまでに人の心を引き付け続ける理由は、登場人物たちのカリスマ性によるところも大きい。

中心は父の敗戦で伊豆に配流の憂き目に遭いながら、巧妙にアメとムチを使い分けて味方を増やした人心掌握の達人、源頼朝。そして敵役・平氏筆頭の清盛は、武家社会の立役者となっただけでなく、瀬戸内航路を整備して日宋貿易を拡大し、宋銭を輸入して貨幣経済を発展させた、紛れもなき天才である。

そこに、武勇と軍略をつかさどり、源平合戦の最大の功績を上げたスーパースター、源義経の存在がある。

「判官贔屓」でも知られる義経は、色白で細眉の美男子だったというから、時代を超えた人気もさもありなん。後白河上皇の近臣で、平氏討伐を企てた容疑で鹿児島の鬼界ケ島に流され、失意と孤独の中に死す俊寛僧都も、世阿弥や近松門左衛門ら多くの芸術家によって語り継がれる悲劇の主人公である。

ユーモアを交えた浮世絵の世界観

こうしたスターとドラマチックな物語の宝庫である源平合戦が、江戸時代、日々の生活を支える娯楽として熱狂的な人気を集めた浮世絵のテーマに取り上げられたのは当然と言える。

その中でも武者絵の第一人者と言われた歌川国芳は、この時代の武士たちの姿を数多く描き上げた。若き日の義経を描いた「牛若鞍馬修行図」は、大天狗の化身である僧正坊が見守る中、木刀で襲い掛かる烏天狗たちをバッタバッタと打ち負かす、迫力とユーモアを感じさせる作品。不気味な森の雰囲気と、義経の輝くような肌の白さが対照的だ。屋島合戦で敵方の兜(かぶと)の錣(しころ)を素手で引きちぎったという逸話を持つ勇猛無比の平景清を、観光名所の中に描いた「木曽街道六十九次之内 御嶽 悪七兵衛景清」も面白い。

歌川国芳「木曽街道六十九次之内 御嶽 悪七兵衛景清」
歌川国芳「木曽街道六十九次之内 御嶽 悪七兵衛景清」

歌川国芳が生きた江戸末期は、源平合戦から700年近い年月が経っている。徳川家康が江戸幕府を開いてからもすでに200年以上が経っており、平和に慣れた人々が、ときにファンタジーを交えながら、いかに世俗的に源平合戦を楽しんだのかが、当時の浮世絵からよく分かる。

そこには時代を超えて練り込まれ、つくり上げられた完成度の高い悲喜こもごものストーリーと、それを彩る多くのカリスマたちが、庶民の喝采を浴びて描かれている。人々は浮世絵の中の彼らに、身内のような親しみと憧れを抱いたに違いない。

栄華と悲運の鮮やかな対比

壇ノ浦で平家は敗れ、海の藻も 屑くずと消えた。だが、後の人々はあれほどの激動の時代を動かした平家の意志が、そこで潰ついえるとは考えなかった。歌川国芳の門人の一人であり、江戸時代末期から明治時代中期にかけて活躍した浮世絵師の歌川芳虎は、「西海蜑女水底ニ入テ平家ノ一族ニ見」の中で、三種の神器を探すよう命じられた海女たちが、海の底で遭遇した平家一門の亡霊を描いている。青白い顔をした亡者たちが、その身が滅びても悲願を遂げようとするその様は、周囲の生き生きとした魚や蟹と対照的で、哀れみと畏怖の念を呼び起こさせる。

同じく国芳の門人、歌川芳員の「大物浦難風之図」も、兄・頼朝に謀反を疑われ、西国に逃れるために大物浦から船出した義経主従が、海で平家の怨霊に行く手を阻まれる、多くの作品に取り上げられた名場面の一つである。

  • 歌川芳虎「西海蜑女水底ニ入テ平家ノ一族ニ見」 歌川芳虎「西海蜑女水底ニ入テ平家ノ一族ニ見」
    歌川芳虎「西海蜑女水底ニ入テ平家ノ一族ニ見」
  • 歌川芳員「大物浦難風之図」 歌川芳員「大物浦難風之図」
    歌川芳員「大物浦難風之図」
  • 歌川芳虎「西海蜑女水底ニ入テ平家ノ一族ニ見」
  • 歌川芳員「大物浦難風之図」

国芳の門人の中でも、幕末から明治中期に活動した月岡芳年は、他の画家とは一線を画す洗練された画風で評価されている。芳年といえば、幕末という時代背景や庶民のニーズと相まってか、鮮血が飛散する残虐な「血みどろ絵」でも人気を博した浮世絵師だ。

その芳年による「大日本名将鑑 平相国清盛」は、平清盛が瀬戸内海の音戸の瀬戸を開いたとき、工事の終了間近に日が沈みかけたところ、清盛が扇を広げて「戻せ、戻せ」と叫び、再び日を昇らせて工事を完成させたという「日招き伝説」を描いたものだ。

その神がかった力強い光景と、絶壁の崖から海に向かって手を伸ばし、悲嘆にくれる俊寛を描いた「俊寛僧都於鬼界嶋遇々康頼之赦免羨慕帰都之図」との明暗の対比がすさまじい。ちなみに、能や歌舞伎の演目でも有名な俊寛僧都の享年が36歳という若さだったことにも驚かされる。

(左)月岡芳年「俊寛僧都於鬼界嶋遇々康頼之赦免羨慕帰都之図」 (右)月岡芳年「大日本名将鑑 平相国清盛」
(左)月岡芳年「俊寛僧都於鬼界嶋遇々康頼之赦免羨慕帰都之図」 (右)月岡芳年「大日本名将鑑 平相国清盛」

一方、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした2年後、鶴岡八幡宮で、仏教の殺生戒の思想に基づき、捕らえた生類を放つ「放生会」により鶴が飛び立つ様を眺め、満足そうな表情を浮かべる頼朝を描いた「大日本名将鑑 右大将源頼朝」は、成し遂げた者ならではの余裕を感じさせる芳年の傑作の一つだ。

月岡芳年「大日本名将鑑 右大将源頼朝」
月岡芳年「大日本名将鑑 右大将源頼朝」

太田記念美術館で行われる展覧会「源平合戦から鎌倉へ―清盛・義経・頼朝」では、これらの名作の数々が一堂に会する。源平時代のつわものどもの栄枯盛衰をダイナミックな浮世絵でたどる、貴重な機会を楽しんでほしい。

招待券をプレゼント

展覧会「源平合戦から鎌倉へ―清盛・義経・頼朝」の招待券を10名様にプレゼント

源平合戦から鎌倉へ―清盛・義経・頼朝

会期   2022年7月1日(金)~7月24日(日)
開館時間 10:30~17:30(入館は17:00まで)
休館日  月曜 ※7月18日(月・祝)開館、7月19日(火)閉館
会場   太田記念美術館
     東京都渋谷区神宮前1-10-10
     TEL050-5541-8600(ハローダイヤル)
     http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/

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